僕とでは、無理でしょうか。
向かい合った席に古泉、その嫌味なまでに長く細い指には白のポーン。
対するこちらは特に考えこんでいるわけでもないが長考ムードに腕を組んでおり(というのも、ルールが分かっていてなお、負け続けるとはどういう作戦なんだろう、と、穿った見方でもって古泉を観察していたためだ)、唐突な質問に面食らった。
今の質問はどこと繋がっていたんだ。俺は呼び水になるような話題を振ったか?
「そうだとも言えますし、そうでないとも言えます」
「どっちかにしろ」
「僕は、肯定したいですね。幸いにもここには僕とあなたしかいない。話題をこちらに方向付ける打って付けのチャンスだと思います」
こちらとはどちらだ、と、俺は訊けなかった。古泉の視線が真っ直ぐこっちに向けられていたので、ああ、これは演説が始まるんだな、と思って聞く体勢に入ってしまったわけだ。こういうことは、多々ある。
白のポーンは戦場を離脱して盤面の外に静かに置かれ、ポーンを摘まんでいた指は、す、とこちらに向けられる。
「あなたと」
指はくるりと向きを変え、今度は古泉を指し示した。
「僕は」
それから手を組み、あごを乗せ、そういう競技があったら十点満点を付けられそうな笑顔を作って、
「恋人にはなれませんか、と言ったんです」
「なれん」
古泉の質問がストレートなら俺の返答だってストレートだ。
考えてみるまでもない、そりゃ無理だろう。別に部室で二人きりだろうが体育館で始業式だろうが、電車の中だろうが坂の途中だろうが、返事の内容に変化はない。
無理だ。その一点に尽きる。
いやいや、そんな真剣な顔してもだな、俺はつられたりはせんぞ。お前もちょっとは自分の発言を顧みてはどうだ。俺とお前だぞ?どんな国家任務を背負っていたら恋人なんぞになれるっていうんだ。
「任務だなんて、そんな。むしろ拠り所は気持ち一つでいいんです。形だって要らない。それだけで僕は、」
「落ち着け、いいから座れ、古泉!」
おお、無駄に声を張り上げてしまった。それもこれも、古泉が急に立ち上がって熱弁を振るおうとしたからだ。俺は悪くない。
しん、と、何の音も落ちていない部室で古泉は緩い溜息を零し、「そうですね」と言いながら椅子に腰を下ろした。それで俺も少しだけ安心した。
一体、何の病気にかかればこんな急に突拍子もない提案をし始めるんだろうか。
依然として落ち着かない風の古泉は軽く眉根を寄せたまま、じっとしている。普段の笑顔はストックが尽きているのか片鱗も見えない。
こうなると調子が狂ってしまうのはむしろ俺の方で、朝比奈さんも居ないから仕方が無いと自分に言い訳までして自分と古泉の分のお茶を淹れてみたりして、ああもう、何だっていうんだ。
ちらっと耳にしただけでも「ないな」と判断したその会話を、俺は自らわざわざ掘り返さなきゃならんのだろうか。嫌だ。そんなのは、飛んで火に居るナントカだ。
しかし俺はナントカだったらしい。
「お前の事だから、理由があるんだと思って訊くが、何だってまた、…その、」
「恋人」
「…こいびと、に、なる必要があるんだ」
言い淀んだ箇所が分かられているっていうのもどうなんだろうな。滅多にしない給仕を終えて定位置に座りなおすと、古泉は俺の知っている奴らしい態度で、きちんと「ありがとうございます」と俺に礼を言ってから湯飲みに口をつけた。
「で、お前、その病気はどこでもらってきたんだ」
「完全に感染病扱いですね」
「他に何があるんだ。少なくとも俺の知っている古泉一樹はあんな取り乱し方はしない。例の不思議パワーじゃないなら感染病だろ」
「僕自身の気持ちの発露だとは、考えられませんか」
「考えられませんね」
いささか投げやりに返答すると、やっぱりいつもの古泉らしく苦笑をしている。無意味な笑顔、これでこそ俺の知っている古泉一樹だ。