ピン子の日記を読んで、もしかして私もちゃんと文章を書く練習をすべきなのでは、と思った。思うだけなら日常的にしているが、結局反省も台無しなほどに練習なぞしたことがない。
ピン子が「練習すべき」と思うのは、彼女が普段は漫画を描いているからに他ならないが、私が「練習すべき」と思うのは、このジャンルに移ってから改めて自分の文章が酷いなと感じるようになったからだ。つまり今に始まったことではないものの、同人活動をするようになってからというわけでもない。
どうしてこのジャンルに移ってからなのかというと、話は簡単、ハルヒで同人をやろうと思うと、原作の文章や古泉の口調を思い出すにつけ、一つの文章が果てしなく長くなっていくという魔法がかかっていたのだ。私も漏れなく魔法にかけられてしまっていた。そうなると、元から足りてはいなかったこの頭、どうにも書き出しと締めで違ったことを話してしまう羽目になる。最初の一文を打っているときに考えていたことが、「。」を打つ時にはきれいさっぱり忘れ去られているのだ。
更に残念なことには、私は読み返すのが好きではなく、特に気分が乗っているときは誤変換にも気付かないほどにワンフレーズ前であろうとも読み返さない。まるで弁が付いているかのように、読み返せないのが自分のせいではないかのように、読み返さない。気分が乗っているときは大抵、追い詰められている時である、というのもある。
どうでもいいような二重三重の罠によって(仕掛けているのも自分であるのにこの言い草)、私はひっちゃかめっちゃかな文章を堂々とワールド・ワイド・ウェブで垂れ流したり、印刷所に突っ込んで本にしたりしている。最悪だ。
最悪だ、と思いつつも放置していたこの悪癖だが、夏コミ合わせの「恋文会議」という合同誌で、これ以上はない恥をかいた。
いや、これ以上はない、は言いすぎかもしれない。いつでも最悪の恥をさらけ出しているのだからどれが一番というわけでもない。
それでも、私の誤字や怪文のせいで全体のクオリティが…と恐れる気持ちは僅かばかりだが持ち合わせていたので、同居人のちさに上がった原稿を読んでもらった。自分で読んだって目が滑るだけと分かっているのだ。彼女が読んだ結果、誤字は三箇所。ふーやれやれ、今回はボリュームの割にたいしたことない惨状だ、と胸を撫で下ろした。
しかし、ちさが「面白かったよ」と内容の感想をくれたところで気が付くべきだったのだ。
その後、イチさんが読んでくれた。誤字等の引っかかりは11箇所。
11!!
ちさに言われて直した後だというのに更に11箇所、よくよく見ればちさの指摘部分より全部後になる。
要するに、ちさは冒頭で三箇所の誤字を見つけた後、単純に話を読み進めていただけだったのだ。
ちさ…。
常々、ちさは妖精だなあと思いながらの同居生活であるが、こんなにも分かり易くネタを提供してもらえると逆に困る。
それほどに面白い話だったんだよ、と言い募るちさだが、あいつのツボは割合浅いところにぎっしりあるので鵜呑みにすることはできない。
ちさ…。
今回は早めに上げて、何ら私の文章に興味の無さそうな人に頼もうと思ったのに、すでにこんな時期になってしまった。
聞けば既に脱稿している人もいると言う。
残念な結果になりそうなのはもう目に見えている。
だからせめて、日頃の文章くらいまともに書いておいて、読み直さなくていいように「文章を書く練習をしよう」…非常に浅はかな計画だ。
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