ハルヒの要求にどうしてここまで応えようとするのか、自分でも首を捻らんばかりだ。しかし社会人として生活している今、ハルヒもこの場所以外ではそうそう簡単に我侭三昧できないだろうと思うと多少の妥協はしてやってもいい気はしてくる。長門にも再会できた事だし、そうだな、四年間もの間、自分からは連絡を取ってみようとしなかった訳じゃないが、俺も団長様様の言葉をずっと覚えていた事になる。「いつか会うべき時がきたら会えるわ。運命なんて信じてないけど、きっとそういうものよ」と、根拠など無きに等しい言葉を。
誰かがハルヒを「優しい」などと言っていたが、俺にその温情はついぞ向けられなかったように感じるな。証拠に、今も奴は長門と二人で食後のデザートを買い漁りにコンビニまで出向いており(「アンタの分なんて無いわよ!」と宣言してから出て行った)、俺はというとカウンターの中での食事を禁じられたせいで今頃一人で箸を動かす破目になっている。一緒に食事がしたい、とまでは言わんが、この扱いと言ったら優しさの欠片も見出せない。
ハルヒの懐の広さのようなものは、俺単体に向けられる事はないが卒業の時に言い渡された上記の言葉には続きがあって、
「ああ、でも遠慮なんてしなくていいのよ、必要なときには呼んでちょうだい!あたしは未来永劫このSOS団の団長として、みんなの面倒を見る覚悟なんだから」
…同い年の女にそんな覚悟をされる身としては、それなりの働きをしてやろうと思っちまうわけだ。面倒を見るなんて言っても特別何かするわけじゃないだろうが(四年間音沙汰なしだったしな)、こっちもそれなりの覚悟だ。
高校時代の友人、と片付けるには少々濃い面子でそれに見合った濃度の三年間だった。
どうも顔を合わせてからこっち、懐かしみたいわけでもないのに切欠を得てしまったせいで怒涛の記憶遡りショーが脳内で上映され気味だ。夏に合宿、冬に合宿、部室で鍋もやった。文芸部部室も乗っ取りっぱなしだったが唯一の文芸部部員である長門が受け入れちまってたから波風の方も立ちようが無かったと見えて、あの三年間はSOS団などという非常に頭の悪そうで活動内容も不透明な団体の本拠地であり続けた。長門はその本拠地で正しく文芸部員としての活動も全うしていたが。
洗い物を粗方終えたところで再び表がやかましくなり(あれが一人だけで騒いでいるというのだから可哀想な話だ)、「たっだいま!」と、ああ悲しくなるまでに何から何まであの頃のままだ。
「あんまり騒ぐんじゃありません」
「何よ、かたいことばっか言っちゃって面白くないわね、何年たっても」
二人が買って来たのはやたらとでかいプリンだった。売ってるのは知っていたが買う奴もいるんだな。
「早くお皿出してよね。ぼさっとしてないで、ほら、三枚!」
俺の分は無いという話だったのは俺は勿論覚えているし長門もハルヒをじいっと見ている、から覚えているんだろう。
俺としてはおこぼれに預かるのに異議はないので、ハルヒの気が変わらないうちに、と粉引きの皿を出した。ものを旨そうに見せるには皿を大きくすればいい、というのは昔漫画で読んだ知識だが、あながち間違ってはいないような気がするな。
その大き目の皿に4対4対2の割合でプリンを盛った。