「キョン君、今日は何だか…」
朝比奈さんが飲み込んだ言葉を、僕は自分の唇に人差し指をあてる仕種で遮った。
「期末ですからね」
「あ、そっかぁ…そうですよね」
今朝から処理や対応に追われている彼は、きっとどんな企業の中に居てもそれなりの活躍を果たすのだろうと思われるが、少なくともこの事務所の中においてはたった一人の事務員であり、同じ仕事を分かち合っても良さそうな朝比奈さんがのんびりした声を出しているのはいくら朝比奈さんに甘い彼でも苛立ちの要因になるのでは、と思った。まあ僕の配慮など彼にとっては無にも等しく、
「朝比奈さん、お茶、美味しいです。ありがとうございます」
これ以上ない笑顔を彼女へ向け、彼女は安心したように微笑み返す。まったく僕の配慮ときたら、何て見当違いなんだろうか。もう何年にもなる付き合いであるというのに。
一方、このオフィスのボスなる涼宮さんはというと、手にした欠席連絡メモを睨み付けている。視線で穴が空きそうな勢いだ。
「キョン」
「俺は今忙しいんだ、後にしなさい」
先ほどの笑顔はどこへ消えたのやら、ぴしゃりと言ってのけた彼は、今度こそ仕事の話以外は一切を許さない雰囲気を撒き散らしていた。
「…この時期、子供たちもお別れの儀式に忙しいんでしょうね。僕にもそんな思い出がありますよ、塾をサボって残り何日もない友達と公園で過ごしたり」
「だからって、あたしたちに無断で休んでいい理由にはならないわ!親に言えないのは筋が通らないけど、どうせどっちかには迷惑かけるんだから、親に言えないならあたしたちに報告すべきよ!」
塾を休む、そのこと自体に彼女が怒っているわけではない、それを知った朝比奈さんの頬が緩む。塾長は塾長なりに、子供の心配をしているのだ。
四月からの入塾申込の処理の手を休めることもなく彼が続ける。
「どこそこの公園で友達と何を話すでもなく過ごしたいので塾は休みます、ってか?」
「…文言がだっさいけど、まあそれでもいいわ、何も言わないより若干マシよ」
「ま、確かにその通りだな」
「でしょ?」
いつになく同意を示してくれるのが嬉しかったのだろう、涼宮さんは勢い込んで彼の机に向かい、
「わかってんじゃないの、キョン。ようやくあんたも学習してきたわね」
「大きなお世話だ。…おいハルヒ、ここと、ここにハンコ、あとお前、五分後から面談だからな」
「ハンコなんてあんたが勝手に押していいって言ってんじゃない」
「良くない」
「じゃあみくるちゃん、あなた押しなさい。あなたは今日から当塾のマスコット兼受付兼捺印マシーン、」
「兼英語科担当ですよ、そろそろ準備してくださいね、朝比奈さん」
いつも通りのやりとりだと安心しきっていた朝比奈さんが「ひぇええ、もうこんな時間!」と、とたとた走り始めるのをきっかけに、緩やかな春の日差しでぬくぬく温まっていたオフィスも動き出した。
チャイムが鳴ってきっちり二分後に長門さんが戻ってくる。
「お疲れ、長門。どら焼きあるぞ」
「そう。…あなたは?」
「俺?俺はハルヒがハンコ押した後で、だな…ああ、その後郵便局行って文房具屋寄って…ああいい、長門、ハルヒと二人でそれ食っちまえ。朝比奈さんの分は残しておくんだぞ」
頷いたような頷いていないような動きで彼女は顎を僅かに引き、まだ子供なのでは、と一瞬疑ってしまうような小さな手で彼が示した箱を手に取った。
「じゃあ僕がお茶を入れましょうか」
「いい。あなたは運転」
「運転?」
「彼、を」
普段から無口な彼女と会話とも呼べないような言葉の遣り取り、は、今度は彼女が窓の外を指差したことでぷつりと途切れた。
「ああ…ではそうしましょう。涼宮さん、よろしいでしょうか?」
「いいわよ、その代わりあたしが面談終わるまでに帰ってくること!」
こうして彼が何も言わないうちに僕の同行が決定し、もちろん僕も長門さんも涼宮さんも彼を思ってのことだと彼もわかっているから悪態こそつかないものの、その中庸をゆく整った顔、眉根がそうっと寄ってしまう。
車を出すくらいで女性扱いされているような気がするんだとか、そんなことは花粉症の前ではくだらないことだろうに。
「うるさい古泉、視線で語るな!」
去年もこうして何度か僕が車を出した。行き、は、彼が猛烈に遠慮をするので迎えに行かないが、帰りは女性陣も乗せてみんな仲良く一緒に帰る。
僕の愛車はお蔭様で潔癖症の持ち物のような具合で、彼にとっては大変に都合の良いものになっているのだ。彼には言わなかったが、それこそが僕の自動車購入の目的であったから手を叩いて喜びたいところだ。
「ハルヒ、ちゃんと面談やってっかな」
「心配になるのなら」
「皆まで言うな。心配はしてないが、アイツも気分屋だからな、子供には好かれるかも知れんがスポンサーには微妙なとこだ」
「大丈夫ですよ、生徒たちが涼宮さんを慕うのはその人となりの為すところでしょうし、保護者が安心して任せようと判断するのは、その決断力と包容力、それから」
「ほんとお前、ハルヒのこととなるとえっらい喋るな。慕ってんのも任せてんのもお前のほうだろう」
「…否定はしませんけどね」
彼に何度か指摘されたことがあるとおり、僕は喋るのが好きだと思う。喋ることで幾つかの攻撃は先制できるし、幾つかの罠は回避できる。それは彼が喋ろうと思う動機にはほど遠いようで、あまり良い顔はされないのだけど。
だから彼は遠慮なく僕の話をぶったぎり、適当に丸めてこちらへ投げてくれる。あまり、無視はない。それが僕を不思議な気持ちにさせ、尚且つ彼に夢中になったきっかけだと、彼は知っているのだろうか。
超途中だけど、ちさが寝るっていうからもうアップしちゃおう。