「さわりっこ、せえへん?」
謙也が口にした瞬間、財前は自分の体温が二度くらいは上がったんじゃないかと思った。二度上がったところで元々の低体温、それならば目の前の茹ったような顔の謙也の方がまだ高い気もする。
ああでも、きっと同じくらい、には。
「さわりっこ……」
そんな言葉、謙也が使うとは思わなかった。言葉の表現する内容に関しては財前だってもう何度も何度も何度も、それこそ覚えたての小学生のように考えたし想像した。(言いにくいが、お世話にもなった)
だから鸚鵡返しにしたのは、「そんな可愛い単語のチョイスがあるかい!」という気持ちからだったのだが、謙也は情けなく眉を下げ、
「あ、あかんかったらええねん、ごめんな、ちゃうねん、その、」
と言い募った。
こっちこそすみません、そういうつもりやなくて、と言おうとして言葉が喉に絡む、だって謙也の目が酷く潤んでいて、自分を見ている。この人は俺で興奮する、それを知って冷静でいられようか。
言ってみればただの相互自慰だ。そんなに可愛い言い回しを何でわざわざするんだ、と財前は胸中で罵る。顔に似合わず可愛いところがあるのは知ってるけど、今ちょっとそんな雰囲気になってるのも分かるけど、でもそんな、さわりっこって。
握られている手は謙也の汗でびっしょり、体温が高いだけでなく新陳代謝も異常に良いのだ、謙也は。そんなことだってとうに知ってる。長いキスの後の謙也はいつも、手の平も指先も温まっていて、それで財前に触れてくるので。
「ああもう、ごめんやで」
気を遣ってくれる、それがどんなに見当違いの方向でも自分が打ち返せるんだから問題ない。謙也が自分をどれだけ思っているか、それだけがいつだって一番大切なことだ。それを意地悪く何度も確かめて、思い出して、体の深いところに大切に仕舞っておく。きっと自分のほうが謙也を好きだから、自分からはあまり言わないくらいでバランスが取れる、と財前は思っている。
可愛い先輩、好きだ、そんな言葉で自分を誘うなんて、なんて。
「アホ」
ついつい口をついて出た言葉に謙也はますます情けない顔になって、視線が外れた。外れた拍子に涙の一つでも零れやしないかと凝視したが、さすがにそれはないらしい。でも謙也をじーっと見ている間、財前だって興奮していて、だから涙目になっているかもしれなくて、謙也がもう一度自分を見てくれたらそれをどう説明しようか、なんて考えているうちに握られた手が解かれる。
「謙也さん」
「嫌やったら嫌て言うてええねんで、そんなん……泣かんで、な」
泣いてない、興奮でしゃくりあげそうになったのを堪えただけ、涙目のことならお互い様。
財前が予想外のお誘いにひとしきり感動(?)している間に、謙也の中ではどんなドラマが繰り広げられてしまったんだろうか。反省なんて不要なのに、謙也の思う財前は潔癖症か何かなんだろうか。
謙也の部屋に上げてもらって、言葉も少ないままに緩く舌を撫ぜるようなキスを長いこと繰り返して、茹だつというよりふやけそうな脳みそになっているのはお互い様なのを、謙也は分からないのだろうか。
自分の表情が少ないから?それだけの理由で?
「やや、ないです……ちょっとびっくりしてもうて」
どうも謙也は自分に関して夢見がちなところがある(小春に関するユウジほどではない)ので、謙也を引かせないように財前だって言葉を選んでいるのに、その謙也がさわりっこ、って。もう。
「……俺がさわって、ええんですか」
本当に嫌ではないんだ、むしろ大歓迎なんだと手っ取り早く伝えるにはどうしたら、と財前は迷い、結局どうすることもできず、じっと謙也を見るにとどまった。
もっとえげつない言葉で誘ってくれたって、断ったりしない。そんな気持ちが謙也から沸いてきて、財前に寄越されただけで、それこそ何回だっていけちゃう、と思っているのに。
謙也は少し驚いたように財前をまじまじと見、それから生々しく唾を飲み込んで(これが演技でないのだから謙也の生体反応の素直さは素晴らしい)、じっとり汗ばんだままの手で財前の頬を包んだ。
「ん、怖い事はせえへんから、約束するし」
ビバ、思い込みの強さ。
(怖い事って何やねん、アホか、多分俺のが怖い事考えとるわ。アンタのイキ顔想像して何回抜いたと思てんねん)
どれも言いはしないけど。
「謙也さん、」
目が合ったタイミングで薄く唇を開き、僅かに舌を出す。キスはどうやら受身のほうが、謙也がのってくると知ったので、財前はよくこうして誘う。唇が触れる直前に、くん、と謙也の欲情した匂いでも出てやしないかと鼻を鳴らしたが、よく分からなかった。いやらしい匂いがしたとして、それが自分のものでないとも言い切れない。
「ん、……」
上顎を舌でなぞられてもどかしさに呻くと、頬をくるんでいた手が離れ、腿の上に乗せられる。あんまりにも謙也の手が熱すぎるから、そんなにそっと触ったって、何もさり気なくなんかないのに、きっと謙也は気付かないんだろう。そんなの、財前だって怖がりようがない。
「光、ほんまに嫌んなったらちゃんと、」
「うっさい、もう」
いいのに、好きにしてくれていいのに。どうせ財前だって気持ち良さの前では猫かぶりに限りがあるんだから(現にキスの最中は他のことを何も考えられない、自分がどれだけ夢中になっているのかもよく分からない)。
発火しそうに熱い謙也の手の上から自分の手を押し付けて逃げられないようにしてから、財前は謙也に跨った。もう知るか、相手が引いたって、知らない。
「え、わっ」
「謙也さん、……さわりっこ、しましょ」
言って、空いたほうの手で謙也のそこを布の上から弱く弱く触る。たったそれだけの接触で大げさすぎるほどに震えた謙也に一層喉が渇いてしまい、財前は唇を舐めた。
「ひかる」
謙也の指に力が入り、財前の右足を上へと辿る、心臓が早鐘を打つようでじっとしてられない。
「知らんかった」
何が、と訊こうとして、また上手くいかない。喉が干上がっているから上手に言葉が滑って出ていかないのだ。
「光って、光って、えっちやんな」
「……あほ」
だからどうしてそこで謙也が照れるんだ、また「えっち」とか可愛い言葉を使って、もう、もう。
内心では悶えていても表層に浮かんでこない財前の心情を知ってか知らずか、謙也はかみ締めるような漏れ出でたような声色で、
「嬉しい、可愛え」
と呟いた。うっとり、もいいとこだ。
これからもっと大変なことするのに、こんな段階で感動してもらっては困る。
財前は溜息の代わりにキスをして、詰る代わりに「なあ、早く」とねだった。