俺のせいなのか、と訊かれたら、訊いてきた相手にもよるが、俺は多分相当悩んで「そうです」と答えたと思う。俺のせいなんだ、おそらく。
古泉が無事に記憶を取り戻した後だったらば、「終わり良ければ全て良し」的に笑い話にできるだろうが、混乱のさなかではそんな余裕は誰にもなかった。
俺が階段から落ちたのが悪いのか、俺の目の前で急に立ち止まって俺のバランスを崩させた朝比奈さんが悪いのか、朝比奈さんを立ち止まらせるに相応しい大声で「いいこと思いついたわ!」と叫んだハルヒが悪いのか、ハルヒにインスピレーションを与えて叫ばせるに至った古泉が悪いのか、咄嗟でも階段から落ちる俺を助ける古泉ごと救助し得る能力を有しているのにコンピ研に出かけていた長門が悪いのか。
…ま、誰も悪くは無かったさ。強いて挙げるとすれば、「俺が転ぶ」ということに対しての周囲のちょっと無いくらいの慌てぶり、あれはもはやトラウマレベルなんじゃなかろうか。いいか、転んだくらいで三日三晩意識を失うなんて事件は早々起きやしないぞ。
といわけで、三日三晩意識を失いっぱなしだった奴はいなかったわけだが、代わりにもっと失われるべきでないものをを失った奴が出てしまった。古泉だ。
「…ったー…古泉、おい、古泉、大丈夫か!」
ぐったりと仰向けに転がる古泉を見て、朝比奈さんまで失神しそうになっていた。他にも怖い思いをした事はいくらいでもあっただろうに、こんなことで気を失いそうになるのは朝比奈さんの精神が優しく暖かく柔らかく出来ているからに違いない。何せ天使だ。
ハルヒに朝比奈さんを任せて、俺は力の入らない古泉の体を負ぶって保健室へ運んだ。せめて保健室が近くて良かった、自分の妹と違って高校生男子の体の何と重いことよ。
保険医は古泉の様子を見て、「たんこぶは出来てないね」と特に重要でもなさそうなことを口にしたばかりか、「ちょっと職員室行って来るから、留守番よろしく」とまで。
たんこぶにならずとも、重大な事態になることはあるだろう、と思った俺の気を知ってか知らずか、古泉は口をむにゅむにゅと動かして「ううん」と言った。
「古泉?」
「…あ?」
俺は返事が出来なかった。確かに、古泉の声だし、古泉の口が動いたのも見たし、古泉の目が開いて俺を見ているのも理解しているが、あんまりのことにリアクションが上手く取れなかったのだ。
「何だよ」
「え、…あの、お前、どっか痛いとことかないのか」
「別に。たいしたこと無いし…だから何その顔?」
警戒を露にした声は不機嫌さを隠さない。俺を見て誰だ、とも言わないから俺のことは分かるのだろうか。自分のことだけ忘れているのか?一時的なことなのか、永久にこのままなのか。
一瞬にして駆け巡るあれこれに対して、俺の返事と来たらどういうわけだかしてもしなくても同じようなものだった。
「え…いや、何でもない、けど」
古泉、お前…キャラクター喪失してるぞ!…と、叫ぶ方がよっぽどソレっぽかったんじゃないかと思われる。俺は俺で、変な耐性がついているからな。そうそう大騒ぎばかりしてもいられない。
と、微妙に冷静な部分も残っちゃいるが、驚いたことには変わりない。俺の受けた衝撃を想像していただけるだろうか。大昔に流行った、「ガムあげる」と言われて手を伸ばしたらパチン!とバネ仕掛けで指を挟まれる、あれ、あの類の衝撃だ。心に訴える類ではなくて、物理的衝撃に似ている、と、思う。
じろじろ見てんな、と吐き捨てるように言った古泉をベッドに寝かせたまま、俺は保健室を飛び出した。飛び出してそのロケットスタートを生かして文芸部部室へ行こうとしたが、ハルヒにそのままストレートに伝えるのもまずい、と思いなおしてメールを二件打った。
ひとつはハルヒへ、古泉はこのまま帰す、俺が送っていくからよろしく、ということ。
ひとつは長門へ、古泉がおかしい、解散後に古泉宅に寄ってくれ、と。
俺は普通の人間だ。その割には想像もつかないようなあれこれに巻き込まれすぎてるんじゃないかとは思うが、その経験が俺を対「フシギ」免疫力を付けさせていて、だから古泉のキャラクターがちょっとばかり崩壊したところで大騒ぎなんかしてらんないのさ。記憶喪失だと?俺がどうこうなるんじゃなくて良かったな、ってくらいだぜ。二、三日古泉いじって遊んで、その後で向こう十年は古泉が俺に足を向けて眠れなくなるくらい頑張って本来の古泉を取り戻してやろうじゃないか。
と、いきがってみても、再びベッドの傍に寄って、柔らかく響くことの無いあの声を聞くのは思っている以上に応えるんだろう。古泉とはこういうものだ、と、もう俺の中にはインプットされているからだ。
それでも、今この瞬間は俺が対処するしかなく、そう向けたのも俺だ。長門が来るまで、という限られた時間の中でもこんなに緊張するのに、こういうときこそ俺が一番に関わっていきたいと思う。思わされる。
戸を引いて、足を踏み出せ。カーテンをのけて、不審そうな目を向ける古泉に言うんだ、後で長門が合流するから、と。
大丈夫だ、物理的衝撃だ。絶対にどうにかできる。どうにかしてやる。
その言葉を聞きたいのは誰だろう。