もしかしたら忘れているのかも知れない、とも考えてみた。
何しろ、今の謙也は、終わってしまった中学校生活と新しく始まる高校生活の狭間にいて、やるべきこともやりたいことも山のようにある(とは本人の弁)、であるのだから。
財前は自分の携帯のカレンダーに登録されている謙也の誕生日を、何だか疎ましい気持ちでもって眺めていた。登録したのは財前でも謙也でもなく、試合のための移動中に暇を持て余した一色ユウジだった。暇つぶしに財前の携帯で遊びだし、メールのフォルダと画像フォルダにロックが掛かっていることに盛大に悪態をついたかと思ったら、片っ端から覚えている生年月日を登録されてしまった。
財前には何の関係もない教師のもの、顔もよく覚えていないアイドル、もちろん部員のものも。満足したユウジから返ってきた瞬間に削除の作業に入ったが、部員のものは残しておいた。いずれ誕生日を祝うことがあるかもしれない…という素直な気持ちがあったわけでもなく、知っている人のものは消しづらい、という消極的な理由だった。
それにも関わらず、主張をしている謙也の誕生日。
主張をされているのだから仕方ない、と、財前はパーカーの上からコートを羽織って、マフラーの有無について少しためらってから、外に出た。午前中でも日差しは暖かく、マフラーはいらない、正解。
多分家に居るだろう謙也、謙也の家まで自転車で二十分、電車だと十三分。自転車にするか、と、自転車の鍵を取りに戻ろうとすると、声をかけられた。
「あれ、どっか行くとこか?帰るとこ?」
緑色のパーカーにジーンズ、ああ、本当にこの人はバカだ、金髪なんだから緑着たら四天宝寺のユニフォームと同じになってしまうってあれほど白石に笑われていたのに。
「謙也さん」
自転車に跨った謙也のぽかんとした顔、鼻先が少し赤い。風を受けて走らせてきたのは明白だった。危ない、あれと同じ顔になるところだった。
「どっち?」
「出掛けるとこですけど」
「あれ、そうなんや…うーん、やっぱりメールしてから来るんやったなあ」
普通はそうだろう、隣の家だというならともかく、近くもないのだから連絡を取ってから来るのが普通だろう。
「…時間、取れへん?」
「ええですよ」
元々謙也に会いに行こうと思っていた、とは言わずに、何だか勿体つけて財前は頷いた。
「何か用事でした?」
「用っちゅーか、…うん、あんな、俺、今日」
誕生日やねん、とか言われてしまったら、財前はとても居心地悪くなるだろう。偶然向こうからやってきたんだから、軽く祝ってやればいいのだろうけど、何も準備をしていない…と気にしてしまう程度には、もう少しちゃんと祝っておきたいと思っているからだ。
しかし謙也は、少しだけ緊張した風になって、
「今日、ちょっと臨時収入があってん。から、何か食い行くかいなって思って」
と言った。
「俺と?」
「ん」
濁されると、今度は、ちゃんと誕生日だからだと言えばいいのに、と思うから奇妙だ。
「オゴリですか」
「そうそう」
謙也の家が金持ちなのは財前始め、同じ部活にいた連中の知るところで、しかし彼の両親がそう簡単に彼に金を握らせることも少ないのも、また知るところだった。その謙也がもらったばかりの小遣い(普通に誕生日祝いだろう)を持って、財前を誘いに来る。
誰かに解説されなくたって、これが言わない謙也のデートのお誘いなんだろうと気付けた。それなら尚更、財前から約束を取り付けたら良かったのに。
「え、ダメ?」
「ええですよ、って、さっきも言いましたけど」
「せやな、せや、せや」
しきりに繰り返して、ほっとしたように笑う。
「チャリのがいいですか?」
「やー、電車でええわ。俺も駅に停めるし」
それなら、帰りも少なくとも駅まで一緒か、と瞬時にそんなことを考える自分。謙也がわざわざ来てくれるなら断ることもないのに、肝心の謙也がそれを全く分かっていないのがいっそ滑稽だ。
「何かごめんな、そっちの用事、つきおうてもええで」
用事、用事。謙也に会う以上に予定があったわけでもないのだが、真っ直ぐ返事をしない癖がついてしまっているから仕方がない。
「…飯、食いながら考えますわ」
「ん?そうなん?」
それがどういう意味かなんて、謙也は考えないだろう。確信に近い安心感で満たされて、財前は歩き始めた。
一緒に食事をしながら、謙也が喜んで、かつ、自分が羞恥で死にたくならないような、何かを考えよう。どうせ用事は今、済んでしまったんだから。
「ていうか、何でコートも着てへんねん」
「あったかいやろ、今日、普通や普通。自分かてマフラーないやん」
自転車に乗るならマフラーはしたと思いますけど、と返すと、謙也はまるで邪気のない顔で、
「けど天気ええしな!チャリ乗りながら俺、歌まで歌ってもーた!」
と笑った。心情的には全く同じだ、と思いながら、財前はわざわざ溜め息をついて見せた。