[Leave me alone!]
見れば分かることなので、すっかり説明するのを忘れていた、というのが本当のところだ。別段やましいことでもないし、隠してもいないし、だから質問もされないのにわざわざ言うことはないと普段から思っているから黙っていた。
それだけのことだったのに、すっかり相手は臍を曲げてしまった。
「アレ、どないしたん」
小石川と交代でコートから出てきた白石が、二年生の群れに視線をやって謙也に尋ねてきた。
「何が」
「お前、とぼけるのもヘタクソやなあ、感心するわ」
「せんでええわ」
白石にタオルを渡してやると、それで顔を拭った白石はやっぱり誤魔化されたりはせず、
「で、どないしたん」
と全く同じように再度質問してきた。逃がしてはもらえないらしい。
他校との練習があるときは、二年生の群れから文句もなく出てきて一緒にいる財前が、今日は群れの中にいる。財前は二年生なんだから二年の群れに居たっておかしくはないのだが、三年生がメインのレギュラー陣からすれば、いちいち二年生の中に居る財前を呼びつけて、やれダブルスがどうの、順番がどうのと言うのは面倒くさいのだ。
もちろん、白石は「面倒だ」という理由で問い詰めてきているわけでないだろうし、それが分かるから謙也も話を逸らせずにいる。
「謙也、何かしたんか」
「してへん」
「怒らせたとか」
「……俺からは、何もしてへん。ほんまやで」
ざあ、っと風がコートを吹き抜けて、髪がばさばさになる。ああ、そろそろ髪も染め直さないといけない、根元の色が変わってきてしまっている、と思った謙也は、そもそもこの髪が財前の機嫌を損ねる原因になってしまったのを連鎖で思い出し、顔をしかめた。
「俺には言いたない話か」
怒っているわけでもない、静かな白石の声は、財前のことも謙也のことも同じように距離を置いて尊重してくれているように感じる。良い奴なのだ。
そんなに重たい話ではない、と謙也が溜息を吐くと、溜息なんか吐いているから重たく見えるんだ、と笑われた。
「でもな、ほんまにちゃうねん。俺にとっちゃあ、どうでもええっちゅーか……その、髪の話やねんけど」
「髪?」
「さっき電車ん中でな、髪が逆プリンになってんのばれて」
「おう」
「ほんで、色抜いてんとちゃうのばれて」
「は?」
「したら財前気付きよったみたいでな、目の色おかしいの何で、って訊かれたから、おかんがフランス人て言うたら、急に黙りこくって……ほんで、近寄ってこんくなった」
白石はがっくりと肩を落とした謙也を見、二年生の群れから出て来ようとしない財前を振り返り、また謙也へ視線を戻した。
「お前、言うてへんかったんか」
「やって、見たら分かるやろ、こんなん……誰ぞ財前に話しとるんかなって思とったし、別に俺が怒られるようなことちゃうやん」
母親が何人だって、謙也は生まれも育ちも大阪で、フランス語どころか標準語だってろくろく喋られないのに。辛うじて、母親の作るお国の料理名が分かるくらいだ。
だから怒られたって困るのに。大体、今まで何も気にしなかったくせに急に何なんだ。反仏派か何かだろうか。いやそんな馬鹿な。
表情を作れず、気持ちのままに悲しい顔になってしまう謙也を見下ろした白石は、「難儀やなあ」と声をかけたが、それだけだった。
目の色が真っ黒じゃない純日本人だってたくさんいるし、髪を染めてる人なんか山のようにいる。謙也の地毛が光りに透ける明るい茶色なのも、目の色が灰色がかった青のような緑のような半端な色なのも、財前が入学してきた頃から変わっていない。今更怒られるようなことでは、というかそもそも人に怒られなければいけない事柄じゃないはずだ。
「白石」
「ん?」
「俺が怒られなアカンこととちゃうよな?」
「そうやと思うけど、仮に財前が怒っとったとして、お前に怒ってるとは限らんやろ。そこちゃんと訊いてきたらええんちゃう?」
そうだ、訊いたら納得できるかもしれない。
問題を先延ばしにする必要もないので、練習試合が終わっての帰り道、謙也は財前の隣にいた二年生に「ちょお財前借りるわ」と声を掛けて群れから離した。
「財前」
「……」
辛うじて隣を歩きはするものの、目も合わせず口は真一文字に結んだままの財前は、明らかに機嫌が悪い。
「お前、何怒ってんねん、別に俺の目ぇが何色でもおんなじことやろ」
「……ちゃうやろ、ボケ」
「ボケてへんわ!」
すかさず返してもまた黙りこくる財前に慣れず、謙也はさっそく誰かに助けを求めたくなった。前を歩く銀か、後ろにいる小石川か、ああもう千歳でもいい。この際混ぜっ返してくれてもいいような気がしてくる。
(あかん、ここは耐えろ、耐えるんや、本人の怒りを解くんは俺しかおらん!)
「なあ、ほんま、何が気に入らんねん」
「……髪」
「あ?」
「何で、染めてんですか。別に染めんでもええやないですか。どうせおんなじ茶色やし」
ぼそぼそ、口の中で言葉を転がして喋る財前は心底面白くなさそうで、ちょっとだけ怖い。悪い事はしてないのに、と謙也は心細いながらに返事を探した。
「いやあ、明るすぎるやろ。何や、ちゃらいなあって思てん」
「実際ちゃらいくせに、今更髪くらい」
「お前なあ、こないだまで俺の髪の色んこと、アホみたい言うてたくせに、俺の地毛なんてなあ余計アホに見えんねんで」
「そやから丁度ええわ」
ようやくいつものテンポか、と思いながらも、やっぱり財前の表情が晴れない。何をどう聞き出したら納得できるんだろう、財前も、自分も。
「なあ、て。機嫌直してや。ちゃんと教えたらんかったんは俺が悪い、かもしれへんけど、ほんまに誰も気にせえへんから時々自分でも忘れとるくらいやし」
「謙也さんが謙也さんのこと忘れとっても俺は関係ないっすわ。……俺が、何や……も、ええわ」
「こら、途中で諦めんな」
絶対に喋らない、とばかりに閉ざされた口を、謙也は頬を伸ばして開かせる。
「もー何やねんお前、めんどいやっちゃなあ。黙っとってもええことないで、俺すぐ忘れるし、言いたいことあったら言うたらええわ」
ぱちん、と頬を伸ばす指をはたかれ、ついでに蹴飛ばされる。そんだけ元気があればもういいだろう、と、蹴られた足をさすりながら謙也は妙に満足した。
「せやから!謙也さんは脱色してカラコンしてどえらいカッコつけやと思ってただけっすわ!ちゃうならええわ、ちゅーか、こんなん俺関係ないし!」
珍しく一気に喚いて、財前は走り出す。二年生の群れは滅多に聞かない財前の大声に驚いてこちらを見ていたので、突っ込んできた財前に「何や、どないしたん」「喧嘩?」と次々質問が飛んでいるようだった。
取り残された謙也は、ぽかんとその後姿を見ている。
「自己嫌悪っちゅー奴やろなあ」
追いついた白石ののんびりした声、ああそういえばそんな感じだったかもしれない。
「自己嫌悪なのに何で俺に当たるん」
「せやから、当たらんように遠くにおったんちゃうん」
「あー……分かりにくいなあ、あいつ。おもろいけど」
呆然と呟く謙也に、白石は笑って同意した。
分かりにくい、自分と全然違う回路、それが面白いんだからしょうがない。財前は怒るだろうけど、きっと自分はあの後輩を気に入っているし、もっと構いに行ってしまうだろうな、と謙也は思った。